看護における質的研究の重要性と方法論
看護分野における質的研究は、患者の複雑な経験や感情を深く理解し、看護の質を向上させるための不可欠なアプローチです。本記事では、質的研究の基本概念、方法論の選択、データ収集と分析の方法などを解説します。
質的研究の基本概念と看護研究における重要性
質的研究とは、対象を数量的なデータではなく「質そのもの」として把握し、現象の全体像を深く理解しようとする科学的な探求手法です。その目的は仮説検証ではなく、実験的研究状況を設定せずに、インタビューや観察から言語データを作成し分析します。対象者が生活する自然な文脈の中で言語データを収集し、研究者自身の主体的解釈を通じて現象に内在する意味を見出すのが特徴です。※1 仮説を検証する演繹的な量的研究とは異なり、質的研究ではデータから新たな概念や理論を構築する「帰納法」を用います。※2
質的研究と量的研究の比較
| 比較の観点 | 質的研究 | 量的研究 |
|---|---|---|
| 主な目的 | 現象の深い理解、意味の解明、新たな理論や仮説の生成 | 仮説の検証、因果関係の客観的な証明、効果の測定 |
| データの形式 | 言語データ(インタビューの逐語録、観察ノート、日記など) | 数値データ(測定値、統計データ、標準化されたアンケートスコア) |
| 論理的アプローチ | 帰納的(個別のデータから普遍的な理論を導き出す) | 演繹的(普遍的な理論から仮説を立て、データで検証する) |
| 研究者の立ち位置 | 研究者自身が「研究の道具」として対象に主体的に関与する | 対象から独立し、バイアスを排除した客観的な観察者として振る舞う |
| 対象の捉え方 | 個別性を重視し、事象を文脈から切り離さず、ひとつのまとまりとして捉える | 事象を変数に分解し、集団全体における代表性や統計的有意性を重視する |
質的研究の方法論とその選択
論理的な研究デザインを構築するための要素として、以下の4つの階層があります。これは、Michael Crottyの著書「Foundations of Social Research」に基づいています。※3、4
質的研究を構築するための4つの要素
| 要素の階層 | 概念の定義 | 看護研究における具体的な適用例 |
|---|---|---|
| 認識論 | 「知識とは何か」「人間はどうやって世界を知るか」という哲学的前提 | 構成主義: 意味は客観的に存在するのではなく、人間が対象と関わり解釈することで構築されるという立場 |
| 理論的視点 | 認識論に基づき、研究対象を見るための哲学的スタンス | 解釈主義・自然主義: 人々が自分の生活をどのように意味づけているかを、ありのままに探求する立場 |
| 方法論 | 選択した手法を用いるための論理的根拠となる、研究全体の戦略やデザイン | 質的記述的研究、現象学的研究、エスノグラフィー、グラウンデッド・セオリーなど |
| 手法 | データを収集し、分析するために使用する実務的で具体的なテクニックや手順 | 半構造化インタビュー、参与観察、合目的的サンプリング、生成的コーディングなど |
研究テーマの設定、対象の選定、アプローチの選定
研究テーマは、看護実践の現場で生じる素朴な疑問から出発します。研究テーマを具体的なリサーチクエスチョン(RQ)へと昇華させる際は、量的研究で用いられるような「AはBに効果があるか」という仮説検証型の問いではなく、「どのように経験しているか(How)」「どのような意味を持つのか(What)」という探索型・記述型の問いを設定します。対象者が置かれている文脈(キャリア年数、所属部署、特定の疾患経験など)をリサーチクエスチョンの中に組み込むこと、先入観を排除したニュートラルな表現にすることも重要です。 対象者の選定においては、無作為抽出ではなく、研究目的に合致する情報を最も豊かに持つ人物を意図的に選ぶ「合目的的サンプリング」を用います。 また、質的研究には、質的記述的研究、現象学的研究、グラウンデッド・セオリー・アプローチ(GTA)、エスノグラフィーなど多様なアプローチが存在します。論文の執筆にあたっては、設定したリサーチクエスチョンが「事実の記述」「本質の理解」「プロセスの解明」「文化の探求」いずれに該当するのかを見極めた上で最適な方法論を選択し、その妥当性を論理的に記述することが不可欠です。
質的研究におけるデータ収集と分析
質的研究では、データ収集とデータ分析が同時並行で行われます。インタビュー直後に初期分析を行い、そこで得た気づきや仮説を次回の質問ガイドに即座に反映させます。データの収集と分析について解説します。
質的研究のデータ収集方法
質的研究における言語データの収集は、主にインタビューと観察によって行われます。なかでも、看護研究では「半構造化インタビュー」という手法が多く用いられます。質問内容を網羅したインタビューガイドを準備しつつも、対象者の語りや反応に応じて質問の順序や内容を柔軟に変更し、対象者自身の価値観(イーミックな見方)を引き出します。また、研究者自身が「研究の道具」として機能し、沈黙を恐れず傾聴しながら深掘りすることで、対象者の言語化を支援します。※1、2、5
質的研究のデータ分析手法
質的研究のデータ分析は、データの通読、コード化、カテゴリー化、理論的記述という反復的な手順で進行します。
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収集したデータを繰り返し読み込んだ後、生のデータの中から意味のある最小単位のテキストを抽出し、その内容を端的に表すラベルを付与します。この工程を「生成的コーディング」といい、対象者が実際に使用した日常的な言葉(In vivo code)を活かすことが推奨されます。※1、5
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次に、抽出した多数のコードを共通性や相違点に基づいて比較し、意味のまとまりとしてグループ化して抽象度を一段上げたカテゴリーを形成します。このカテゴリー化は、納得のいく構造が見出されるまで何度も反復されます。※5
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最終的に、これらのカテゴリー間の関連性やプロセスの流れを図式化し、研究の目的に対する答えとなるストーリーを構築します。記述的知見(どうなっているのか)、予測的知見(どうなるのか)、処方的知見(どうしたらいいのか)という3つの視点に基づき、研究対象についての理解や解明へと発展させます。※1、5
サンプリング方法とサンプルサイズの考慮
質的研究におけるサンプリングは、研究テーマに合致した多様な手法が用いられます。以下は、看護研究でよく用いられるサンプリング手法とその概要です。※2
看護研究で良く用いられるサンプリング手法
| サンプリング手法 | 概要と研究における活用目的 |
|---|---|
| 基準サンプリング | 特定の臨床経験や疾患の罹患期間など、研究目的に合致する条件を満たす対象者を意図的に選定する手法 |
| スノーボールサンプリング | 最初の研究参加者から、類似の経験を持つ別の知人を紹介してもらう手法 |
| 多様性サンプリング | 対象者の年齢、性別、療養環境などの背景を意図的に多様化させ、さまざまな視点から現象の全体像や共通項を浮き彫りにする手法 |
| 逸脱ケースサンプリング | 一般的な傾向とは明らかに異なる特異なケースをあえて選定し、現象が成立する境界や条件を明確にする手法 |
| 理論的サンプリング | グラウンデッド・セオリー等で用いられ、分析の進行に伴って生成されつつある理論をさらに検証・深化させるために、次の対象者を決定していく手法 |
研究倫理の重要性と遵守
臨床心理学や看護学における質的研究は、対象者の疾患や治療、家族関係といった極めてプライベートな領域に深く介入することになります。そのため、インフォームド・コンセントの取得、匿名化、秘密保持といった倫理規程の厳格な遵守が絶対条件であり、研究計画の段階から厳重に設計する必要があります。
特に、知人の紹介によるスノーボールサンプリングは、依頼された側が断りにくく、心理的負担を伴います。断る権利を完全に保障し、心理的ハードルを下げる工夫が求められます。※2
質的研究の公表の意義と論文作成時のポイント
質的研究を通して得た知見を学術論文として公表する意義は、一人の人間(n=1)の個別な経験から得た教訓を水平方向に広げ、実践の現場に変革をもたらすことにあります。
ここで重要なのが「個性記述的一般化」です。多数のデータから統計的法則を導く量的研究とは異なり、少数の事例を深層的に掘り下げることで、普遍的な経験の構造を見出すことができます。これにより、論文を呼んだ他の看護師は、自身の担当患者のケアに応用できる新たな実践的視座を得ることができます。※2
看護研究における質的研究の成果が国際誌に採択されるためには、以下のポイントに留意しながら、質の高い論文に仕上げることが欠かせません。
・研究者自身の価値観や背景が解釈にどう影響したかを客観的に表現する「再帰性(Reflexivity)」の明示 ※2
・同じできごとを観察した者による証言としての「記述的妥当性」と、対象者ができごとに与えた意味が正確に説明されている「解釈的妥当性」の明示 ※2
・倫理的配慮に関する明示 ※3
完成した草稿を音読しながら推敲し、洗練された論文に仕上げることも重要です。
質的研究は数値に表れない当事者の声を言語化・理論化する重要なプロセス
質的研究は、事前に答えが用意されていない発見的プロセスの連続であり、研究者自身の深い共感力と高度な解釈力が試されます。看護研究においては、患者の個別的で複雑な経験を深く理解し、数値に表れない当事者の声を科学的に言語化する重要なアプローチといえます。数値に表れない当事者の声を、科学的かつ厳密な手続きによって言語化し理論化するプロセスは、従来の画一的なケアを見直し、新たな看護実践の原動力となります。
参考資料
※1 大谷 尚. (2017) 質的研究とは何か What Is Qualitative Research? 薬学雑誌 137 (6). 653-658.
※2 2021~2022年度研究活動推進委員会. (2024)2022年度日本地域看護学会研究セミナー質的記述的研究とは何ぞや─質的研究に関する10のキークエスチョンを基軸に学ぶ─. 日本地域看護学会誌. 27(1).
※3 髙木亜希子. (2011) 質的研究デザインの方法. 第41回中部地区英語教育学会福井大会 英語教育法セミナー2
※4 Michael Crotty. (1998) Foundations of Social Research. Taylor & Francis Group.
※5 グレッグ美鈴. (2022) 質的記述的研究の進め方. 日本在宅看護学会.






